東京地方裁判所 平成3年(ワ)8586号 判決 1993年8月30日
甲乙事件原告
三丸興産株式会社(以下「原告」という。)
右代表者代表取締役
吉岡節子
右訴訟代理人弁護士
三好徹
同
吉田哲
同
江川清
同
竹内義則
同
星隆文
同(甲事件)
平出一栄
同(乙事件)
根本雄一
甲乙事件被告
株式会社カワムラ(以下「被告カワムラ」という。)
右代表者代表取締役
川村禎俊
甲乙事件被告
株式会社ベルス(以下「被告ベルス」という。)
右代表者代表取締役
榎本妙子
甲乙事件被告
有限会社モナリザ洋装店(以下「被告モナリザ洋装店」という。)
右代表者代表取締役
内海健一
右訴訟代理人弁護士
大庭登
甲乙事件被告
有馬敏勝(以下「被告有馬」という。)
右訴訟代理人弁護士
菅野谷純正
同
菅野谷信宏
甲乙事件被告
加藤繊維株式会社(以下「被告加藤繊維」という。)
右代表者代表取締役
加藤健樹
被告ら訴訟代理人弁護士
岩井重一
同
安田隆彦
同(甲事件)
小野明
被告ら訴訟復代理人(甲事件)・訴訟代理人(乙事件)弁護士
平澤慎一
主文
一 原告らの甲乙事件の各請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、甲乙事件を通じて全部原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一甲事件
1 原告が被告カワムラに賃貸している別紙第二物件目録(一)記載の建物部分(以下「本件(一)の建物」という。)の賃料は、昭和六三年五月一日以降一か月金五三万七六〇〇円であることを確認する。
2 原告が被告ベルスに賃貸している別紙第二物件目録(二)記載の建物部分(以下「本件(二)の建物」という。)の賃料は、昭和六三年五月一日以降一か月金七六万三五六〇円であることを確認する。
3 原告が被告モナリザ洋装店に賃貸している別紙第二物件目録(三)記載の建物部分(以下「本件(三)の建物」という。)の賃料は、昭和六三年五月一日以降一か月金五三万七六〇〇円であることを確認する。
4 原告が被告有馬に賃貸している別紙第二物件目録(四)記載の建物部分(以下「本件(四)の建物」という。)の賃料は、昭和六三年五月一日以降一か月金三九万二九八〇円であることを確認する。
5 原告が被告加藤繊維に賃貸している別紙第二物件目録(五)記載の建物部分(以下「本件(五)の建物」という。)の賃料は、昭和六三年五月一日以降一か月金五五万四九六〇円であることを確認する。
二乙事件
1 原告が被告カワムラに賃貸している本件(一)の建物の賃料は、平成三年五月一日以降一か月金六四万五一二〇円であることを確認する。
2 原告が被告ベルスに賃貸している本件(二)の建物の賃料は、平成三年五月一日以降一か月金九一万六二七二円であることを確認する。
3 原告が被告モナリザ洋装店に賃貸している本件(三)の建物の賃料は、平成三年五月一日以降一か月金六四万五一二〇円であることを確認する。
4 原告が被告有馬に賃貸している本件(四)の建物の賃料は、平成三年五月一日以降一か月金四七万一五七六円であることを確認する。
5 原告が被告加藤繊維に賃貸している本件(五)の建物の賃料は、平成三年五月一日以降一か月金六六万五九五二円であることを確認する。
第二事案の概要
本件は、借家法七条に基づく家賃の増額請求の事案であるが、被告らは、特約により右の増額請求はできない旨主張したり、昭和六三年の増額請求の意思表示を否定するなどして争い、原告が右特約は無効である旨の主張をしているものである。
一争いのない事実
1 原告は、昭和五四年四月一九日、被告カワムラに対し、本件(一)の建物を、賃料を同日から昭和五七年四月一八日まで一か月二九万六〇七三円と定めて賃貸し、原告と被告カワムラは、右賃料について、昭和五七年七月二一日に同年四月一九日から昭和六〇年四月一八日まで一か月三三万七五〇〇円と、昭和六〇年九月二八日に同年四月一九日から昭和六三年四月一八日まで一か月三八万四八〇〇円とすることを合意した。
2 原告は、昭和五四年四月一九日、被告ベルスに対し、本件(二)の建物を、賃料を同日から昭和五七年四月一八日まで一か月四一万九六七四円と定めて賃貸し、原告と被告ベルスは、右賃料について、昭和五七年七月二一日に同年四月一九日から昭和六〇年四月一八日まで一か月四七万八四〇〇円と、昭和六〇年九月二八日に同年四月一九日から昭和六三年四月一八日まで一か月五四万五四〇〇円とすることを合意した。
3 原告は、昭和五四年四月一九日、被告モナリザ洋装店に対し、本件(三)の建物を、賃料を同日から昭和五七年四月一八日まで一か月二九万六〇七三円と定めて賃貸し、原告と被告モナリザ洋装店は、右賃料について、昭和五七年七月二一日に同年四月一九日から昭和六〇年四月一八日まで一か月三三万七五〇〇円と、昭和六〇年九月二八日に同年四月一九日から昭和六三年四月一八日まで一か月三八万四八〇〇円とすることを合意した。
4 原告は、昭和五四年四月一九日、有馬昭三に対し、本件(四)の建物を、賃料を同日から昭和五七年四月一八日まで一か月二一万六〇〇一円と定めて賃貸し、右賃料について、原告と有馬昭三は、昭和五七年七月二一日に同年四月一九日から昭和六〇年四月一八日まで一か月二四万六二〇〇円とすることを合意し、原告と被告有馬は、昭和六〇年九月二八日に同年四月一九日から昭和六三年四月一八日まで一か月二八万〇七〇〇円とすることを合意した。
なお、有馬昭三は、昭和五八年六月三日死亡し、その契約上の地位を被告有馬が単独相続した。
5 原告は、昭和五四年四月一九日、被告加藤繊維に対し、本件(五)の建物を、賃料を同日から昭和五七年四月一八日まで一か月三〇万五〇〇三円と定めて賃貸し、原告と被告加藤繊維は、右賃料について、昭和五七年七月二一日に同年四月一九日から昭和六〇年四月一八日まで一か月三四万七七〇〇円と、昭和六〇年九月二八日に同年四月一九日から昭和六三年四月一八日まで一か月三九万六四〇〇円とすることを合意した。
6 前記の昭和五四年四月一九日の各賃貸借契約(以下「本件各賃貸借契約」という。)には、賃料増額に関し、「賃料は三年毎に一〇パーセントあて増額するものとする。ただし、その期間内の賃貸物件の公租公課の増額が一〇パーセントを超える場合、または極端な経済変動があり、賃料の改訂を要する場合は賃貸人賃借人協議のうえ、新賃料を協定するものとする。」との約定(以下「本件約定」という。)がある。
7 原告は、各被告に対し、平成三年四月下旬、各被告に賃貸している建物の賃料を、同年五月一日以降前記第一の二の各金額に増額する旨の意思表示をした。
8 被告らは、本件約定本文に従い、昭和六三年四月一九日以降の賃料は昭和六〇年四月一九日以降の賃料の一〇パーセント増であり、平成三年四月一九日以降の賃料は昭和六三年四月一九日以降の賃料の一〇パーセント増である旨主張している。
二争点
1 本件約定の解釈
(被告らの主張)
(一) 本件約定は、借家法七条の適用を排除する、つまり賃料の増額請求権を認めない合意である。すなわち、本件約定本文は賃料の増額率を定率化するものであり、但書は協議が成立しないかぎり賃料の増額ができないというものである。
(二) 本件約定但書の「公租公課の増額が一〇パーセントを超える場合」とは、公租公課の増加額が従前の賃料の一〇パーセントに相当する金額を超える場合である。
(原告の主張)
(一) 本件約定は借家法七条の適用を排除する合意ではない。本件約定本文は賃料増額の下限を示したにすぎないものであり、但書も協議が調わないときの増額請求権の行使を否定したものではない。
(二) 本件約定但書の「公租公課の増額が一〇パーセントを超える場合」とは、公租公課自体の増額率が一〇パーセントを超える場合である。
2 仮に、本件約定が被告ら主張の趣旨の合意であるとしたとき、本件約定は無効か。
(原告の主張)
前二回の賃料改訂の際いずれも本件約定本文と異なる合意をして、一度も本件約定本文を適用したことがなく、また、本件約定本文のような合意は永久に有効なものではないから、本件約定は、当初から無効であるか又は増額請求をした昭和六三年四月もしくは平成三年四月には無効である。
3 原告が、各被告に対し、昭和六三年四月一五日頃、各被告に賃貸している建物の賃料を同月一九日以降前記第一の一の各金額に増額する旨の意思表示をしたか。
4 適正な賃料額
第三争点に対する判断
一争点1(本件約定の解釈)について
1 本件各賃貸借契約締結に至る経緯に関し、次の事実は当事者間に争いがない。すなわち、
(一) 被告有馬を除く被告ら及び有馬昭三(以下、右五名を「被告カワムラほか四名」という。)は、原告から、本件(一)の建物ないし本件(五)の建物(以下「本件各建物」という。)を含む別紙第一物件目録の(一棟の建物の表示)記載の建物(以下「道玄坂共同ビル」という。)が新築される以前より、長年にわたり、その敷地上の一部に存していた原告所有の木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建店舗を賃借して営業を継続していた。ところが、昭和五一年に至り、原告を含む地権者が道玄坂第二地区防災ビル事業主会を設置し、道玄坂防災ビル建設事業を推進することとなり、次いで、昭和五一年五月二〇日、道玄坂防災建築街区造成組合第二地区事業主と株式会社東急百貨店との間において、防災建築街区造成法に基づき、右事業主が防災ビルディングを建設し、その一部を右東急百貨店に賃貸することに関する基本協定書を取り交わすに至った。
(二) これらの動きに対し、被告カワムラほか四名を含む道玄坂防災建築街区造成組合に加入している借家人は、借家人の生活と権利を守るため、道玄坂商店街借家人会を結成した。その後、道玄坂共同ビルの建築に関し、原告と被告カワムラほか四名との間において相当数の交渉の場が設定され、その際に、①権利調整、②再入居の保証、③旧建物の明渡時期等が論点として検討され、特に、権利調整問題が大きなテーマとなり、借家人としての新ビルにおける占有面積割合、賃貸期間、賃料、敷金・保証金、賃料の増額、敷金・保証金の返還等につき、交渉が重ねられた。その結果、昭和五二年三月三〇日、原告と被告カワムラほか四名との間で、それぞれ「ビル賃貸借予約等に関する契約書」が取り交わされた(以下、右各契約を「本件各賃貸借予約等」という。)。
(三) その後、原告と被告カワムラほか四名は、本件各賃貸借予約等の内容をそれぞれ誠実に履行し、その結果、約二年の歳月を経て、道玄坂共同ビルが完成し、昭和五四年四月一九日、本件各賃貸借契約が締結された。
2 <書証番号略>、証人吉岡唯夫・同岩井重一の各証言、被告モナリザ洋装店代表者尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件各賃貸借契約は、本件各賃貸借予約等に基づき、弁護士が関与して締結されたものであるが、本件各賃貸借契約には、本件約定のほかに、「賃貸借の期間は、賃貸物件引渡の日から二〇年とする。ただし、期間が満了したときは賃貸人は無条件で契約を更新するものとし、その期間を二〇年とする。賃貸人は右期間が満了したときは、賃借人に対し更に一〇年間目的物件を賃貸することを予約する。この場合、賃貸人賃借人は新たに他の賃貸借条件につき協議し協定するものとする。」、「賃借人は、〜敷金として〜円(賃料の約六か月分相当額)を賃貸人に預託するものとする。」、「賃借人は、〜保証金として〜円(敷金の四倍相当額)を賃貸人に預託するものとする。保証金は預託時から一〇年間据置き、一一年目から向こう一〇年間に毎年末日限り均等年賦償還する。保証金は据置期間中無利息とし、償還期間中は年二パーセントの割合による利息を付し、保証金償還の都度その日迄分を支払うものとする。」などの約定がある。
(二) ところで、本件各賃貸借予約等は弁護士が関与して締結されたものであるが、右契約において、原告は被告カワムラほか四名に対し、新ビル(道玄坂共同ビル)の一部を「賃料の増額‥三年毎に一〇パーセントの割合による増額とする。」という条件で賃貸することを約していた。右の賃料の増額に関する条項は、賃料増額に関する紛争を予防すること、増額に一定の歯止めをかけることなどを目的としたものであった。しかし、本件各賃貸借契約を締結するにあたって、原告から、右条項と同一内容の本件約定本文に、但書を付加することが提案され、結局、常識的には通常考えられないような極端な経済変動があった場合には本文の適用を排除することとし、「その期間内の賃貸物件の公租公課の増額が一〇パーセントを超える場合」を極端な経済変動の場合の一事例とするということで、但書が付加された。そして、「その期間内の賃貸物件の公租公課の増額が一〇パーセントを超える場合」とは、その期間内の賃貸物件の公租公課の増加額が従前の賃料の一〇パーセントに相当する金額を超える場合と解釈された。なお、右の「賃貸物件」が建物だけかその敷地をも含むのかについての議論は特にはなされなかった(が、敷地をも含むものと解される。)。
(三) 原告は、昭和五七年四月、被告カワムラほか四名に対し、地価や消費者物価・卸売物価の異常な上昇をみるなど、経済情勢に著しい変動を生じており、従前の賃料は不相当になったとして、賃料を同月一九日以降従前賃料の17.99パーセント増の金額に増額する旨の通知を出したため、原告と被告カワムラほか四名との間で協議が行われることになり、その中で、被告カワムラほか四名は、本件約定本文に従い一〇パーセント増とすることを主張したが、結局、妥協して、昭和五七年七月二一日、一四パーセント増で合意が成立した。しかし、その際、原告と被告カワムラほか四名は、それぞれ本件各賃貸借契約書に付帯する覚書を交わし、その中で、「今後の賃料の増額は、三年を経過する毎に本件約定の趣旨に則り協定する。」旨の合意をした。
(四) 次いで、原告は、昭和六〇年四月、被告らに対し、賃料改定の申入れをし、同月下旬から原告と被告らとの間で協議がなされたが、その際、原告は、道玄坂共同ビルの敷地の固定資産税の上昇や他の借家人の賃料との比較を理由に、従前賃料の15.36パーセント増の案を提示し、被告らは、本件約定本文に従い一〇パーセント増とする案を主張したが、結局、妥協して、昭和六〇年九月二八日、一四パーセント増で合意がなされた。その際、原告が本件約定は効力がないと主張したり、原告と被告らが本件約定は効力がないと確認したことはない。
(五) 更に、原告は、昭和六三年四月、被告らに対し、昭和六〇年に比べて、道玄坂共同ビルの敷地の固定資産評価額が46.53パーセント上昇し、路線価も四〇〇パーセント以上上昇しているとして、賃料を従前賃料の四〇パーセント増の金額に増額する旨の通知を出したため、原告と被告らとの間で協議がなされることになり、その中で、被告らは、本件各賃貸借予約等の「賃料の増額」の条項や本件約定本文を根拠に原告の案に反対したが、お互いに譲歩した案も出し合った。しかし、結局、原告と被告らは合意に達せず、昭和六三年一二月交渉は不調に終わった。その際、原告が本件約定は効力がないと主張するなどしたことはなかった。
(六) 道玄坂共同ビル及びその敷地のうち、原告所有建物(別紙第一物件目録記載の建物)及び原告所有地(渋谷区道玄坂二丁目一一八番一宅地290.57平方メートル、渋谷区道玄坂二丁目一二〇番四宅地81.19平方メートルのうち持分一〇万分の一八三四三)の固定資産税・都市計画税の合計額は、昭和五四年度が一四五五万七三三二円、昭和五七年度が一六二三万八八七〇円、昭和六〇年度が一八七三万三四八二円、昭和六三年度が二四〇六万三九一六円、平成三年度が三〇五九万〇八〇一円であるから、昭和五七年度は昭和五四年度に比べ11.55パーセント、昭和六〇年度は昭和五七年度に比べ15.36パーセント、昭和六三年度は昭和六〇年度に比べ28.45パーセント、平成三年度は昭和六三年度に比べ27.12パーセントそれぞれ上昇している。また、右原告所有建物の延床面積は1万6100.09平方メートルであり、原告の持分は一〇〇万分の二〇万三八五一であるから、3282.02平方メートルが右持分に対応する延床面積となるところ、被告らの賃借している本件各建物の床面積合計は223.57平方メートルであるから、本件各建物の占める割合は0.0681である。なお、右原告所有建物の固定資産評価額は昭和五四年度から平成三年度までいずれも四億二八一七万円余であるが、右原告所有地の固定資産評価額は、昭和五四年度が四億二八一三万円余、昭和五七年度が五億二七〇五万円余、昭和六〇年度が六億七三七九万円余、昭和六三年度が九億八七三四万円余、平成三年度が一三億七一二八万円余である。以上のとおり認められる。ところで、原告は、本件約定但書の「その期間内の賃貸物件の公租公課の増額が一〇パーセントを超える場合」とは、その期間内の賃貸物件の公租公課自体の増額率が一〇パーセントを超える場合である旨主張し、<書証番号略>中には、右主張に符合する記載部分があるが、本件約定の本文と但書は原則と例外の関係にあると考えられるところ、原告主張のような場合は通常起きる事態である(これは<書証番号略>、証人岩井重一の証言により認められる。)から、但書の右場合の解釈が原告主張のとおりであるとすると、本文の適用場面がほとんどなくなってしまって、不合理であること、前記(二)のとおり本件約定但書は極端な経済変動の場合が考えられていた(そして、そのような場合に本文の適用<拘束力>がないとすることは合理的である。)こと、反対趣旨の証人岩井重一の証言・被告モナリザ洋装店代表者尋問の結果に照らし、<書証番号略>の右記載部分は採用できない。
3 そこで、以上の事実関係のもとにおいて、本件約定の解釈について検討するに、①賃料の増額については、原則として本文が適用されるが、但書の条件を満たすときは例外的に但書が適用される、②本文は、新賃料は三年毎に従前の賃料の一〇パーセント増の金額とするものであるが、右の割合を超えては増額しない、即ち、増額の範囲を制限する特約であるから、借家法七条一項但書所定の特約(「一定ノ期間」の要件は後記二のとおり備えている。)であり、本件約定本文を適用すべきときは、賃貸人は借家法七条による賃料の増額請求権を行使できず、また、本件約定但書の条件を満たすときは、新賃料は協議して決定することになるが、協議を経ないで増額請求権を行使することができないわけではない、と解するのが相当である(本件約定但書の「協議のうえ、〜協定する」の解釈について、最判昭和五六年四月二〇日民集三五巻三号六五六頁参照)。
ところで、原告は、昭和五七年と昭和六〇年の前二回の賃料改定の際、いずれも一〇パーセントを超える増額がなされたことなどを理由に、本件約定本文は賃料増額の下限を示したにすぎないものである旨主張するが、前記1に認定の本件各賃貸借契約締結に至る経緯等からすると、借家人が増額の下限を一〇パーセントと定め、上限は定めないという合意をするとは考え難いこと、前記2(三)の覚書等からすると、前二回の賃料改定交渉において、賃貸人賃借人の双方が原告の右主張のように理解していたとは認め難いことなどに照らし、採用できない。
そして、原告が賃料増額の意思表示をしたと主張する昭和六三年四月と右意思表示をした平成三年四月当時、本件約定但書所定の条件を満たしていないことは前記2(六)の事実、弁論の全趣旨等により認められるから、本件約定本文が適用されるべきであり、したがって、原告は、借家法七条に基づく賃料の増額請求権を行使できない(増額請求の意思表示をしたとしても無効である。)といわなければならない。
二争点2(本件約定の効力)について
昭和五七年と昭和六〇年の前二回の賃料改定の際、本件約定本文と異なる合意がなされ、本件各賃貸借契約締結後本件約定本文が適用されたことがないことは前記一2のとおりであり、本件各賃貸借契約後、昭和六三年四月時点で九年が経過し、平成三年四月時点では一二年が経過しており、その間、前記一2(六)のとおり、公租公課が増加し、土地の価格が上昇しているが、一方、本件約定の内容は不合理とはいえないこと、前記一2(三)のとおり、昭和五七年の賃料改定の合意の際、爾後の賃料の増額は本件約定の趣旨に則ってすることを合意していること、本件約定の有効期間は、前記一2(一)の賃貸借の期間等からすると、二〇年間であると認められること、前記一2に認定の事実等によれば、被告らは、本件各賃貸借契約後から一貫して、本件約定が拘束力を有すると考えており、原告も前回の賃料改定時までは本件約定が拘束力を有しないとは主張していないことなどを考慮すると、本件約定が例文で無効であるとか、又は、昭和六三年四月もしくは平成三年四月の時点において本件約定が無効であると解するのは困難である。
したがって、争点2に関する原告の主張は採用できない。
三結論
以上によれば、原告の甲乙事件の各請求は、その余の主張について判断するまでもなく、いずれも理由がない。
(裁判官山口博)
別紙物件目録<省略>